鎌倉の佐介ヶ谷に、農民が住んでゐた。夫婦養子をして、暮してゐるうちに、聟は公用のために他国へ旅行することとなつたが、その留守の間に舅が嫁に恋着して掻き口説いた。
すると、嫁が言ふに、他人ならばいざ知らず、親子の中でさる道ならぬことは出来ぬと拒んだ。然るに我国には櫛を拾へば他人となる迷信のあることを舅が思ひ出し、或る日、嫁が仕事をしてゐる襖の陰から櫛を投げた。嫁は何んの気なしにそれを拾ひあげると、そこへ舅が出て来て、櫛を拾つた上はもはや他人だから、今こそ我が意に従へと挑む。嫁は、兔してくれと逃げ廻る。大乱痴気騒ぎのと ころへ、聟が旅行さきから突如として帰つて来た。舅は聟の手前を恥ぢたものか、その夜に自殺してしまつた。
そこで聟が妻から事情を聴いたが、その聟の言ひ草が、とても現今からは想像されぬほどの、奇抜なものであつた。曰く舅とは云ひ親である。その親の申付に背き、死に導いた不料簡者は、妻として 置けぬと即座に離別し、自分は舅の菩提を弔ふとて出家し、廻国に余生を送つたと云ふ。