女子が愛人の無情を恨み、これを咀ひ殺すとて、『丑の刻参り』をする迷信も我国には大昔から行はれてゐて、謡曲の「鉄輪」は、これを脚色したものである。
宇治の橋姫の伝説も亦、それを物語つたものである。
文致の頃に切支丹お蝶と称する女賊が、曾て自分を熱愛した寺小姓が後に変心して棄てたのを怨じ、その男を呪ひ殺さうとて、谷中の一本杉の洞穴の中に若衆姿の藁人形を据ゑ鉄釘を打ち込む代りに、当時江戸市中で流行した銀の平打の簪を掏り取つて、毎夜これを打ち込んで呪ひつづけた。
後にお蝶が捕縛された折に、何故に銀の簪を用ゐたかと問はれ、鉄釘では愛人の苦痛が張からうと思うた為めであると答へたのも、惚れた弱味と見える。
これとは少し目的を異にするが、今に花柳界の女子が棄てた男に仇をすとて、自分の×水の折にゐた紙を陰乾にし、それで観世撚へ拵へ、丑満頃(午前二時)便所に往き、その観世撚に火を点じて下を覗くと男の顔が現れるが、その途端に火を落すと、火の当つた所の顔に痣が出来るとて行ふ者があると聞いてゐる。
但しこれは、他人に見られると無効であるばかりでなく、目分が災難を受けると云ふことである。