我国では古くから赤児を××した。
ことに江戸時代には、此の悪風が殆ど公然と武士や農民の間に行はれてゐた。歯が生えて産れた児は、俗に鬼ッ子と称へて圧殺するのが、当然のやうに考へられてゐた。従つて、此の悪風を意味する隠語が各地に存し、関東では間引き、うろぬくと称し、奥州では臼ごろ、わかばと云ひ、北越では戻す或ひは打ッ返すと唱へ、九州では一丁越し、或は蔓はづれと云つてゐた。
殊にそれが丙午の年に生れた赤兒は、成長の後に男子は身を喰ひ、女子は夫を喰ふとの迷信が猖んになつて、嫁娶共に、良縁を得る事の困難なるより、此の年は赤児を××する事が頗る多かつた。