三、妊婦と蛇の話

明治九年九月の横浜毎日新聞に、本港町元町の土方職某の妻が出産に際し非常に苦しむので、産婆を招ぎ手当をさせると、産婆が大変だと驚くので亭主が見ると赤子では無くして、勢ひ鋭き蛇が七八寸ほどぶら下つてゐて親は生死の苦しみをしてゐるが、これは蛇を生むだのではなくして、蛇が進入したのかも知れぬと載せてある。

我国には蛇を産んだといふ話は、少しく誇張して云へば殆んど数ふるに追なきほど沢山あるが、併し人間が蛇の子を産むべき筈はないから、これは一種の説話に過ぎぬことは勿論である。これに較べると蛇が進入したといふ話の方が、多少とも確実性を有してゐるやうである。されど此の話とて何処までが事実で何処からが説話やら、誠に見当のつかぬ心細いものであるが、それでも話は古く奈良朝から物の本に記されてゐる。日本霊異記に天平宝字三年四月に、河内の馬甘里の富豪の娘が蛇に魅入られたので薬師を招ぎ、稗藁三束を焚きその灰を三斗の湯に入れて二斗に煮詰め、その中へ猪の毛十把を入れて汁と合せ、娘の口をあけて一斗を飲ませたら、蛇も放れ蛇の子も出たと記してあるが、果して効目があるか否か知れたものではない。それから渡辺幸庵対話に蛇の入つたときは、蛙へ山椒を二三粒食せたのを置くと蛇が出ると云ふやうなことが記してあるが、これも実験したことでないから保証の限りで無い。松屋筆記には此の事が二ヶ所ほど書いてあるが、その方法は三種あり、第一はサルノコシカケ(武蔵相模辺ではヨソドメトウと云ふ)の葉で蛇の尾を巻き出すと容易に出ると云ひ、第二は本草綱目を引用して、蛇に艾をあて灸を点ずると出ると云ひ、第三には蛇の尾を割き、それへ山椒の粒を入れると出ると云うてゐる。渡辺幸庵の話も本草綱目から出てゐるのかも知れぬ。猶私の生れた栃木県足利地方では、斯うした時は蛇の尾を握り、一度前へ押し込むやうにし、蛇が鱗を伏せたところをグッと引くと出ると云つてゐるが、これも事実かどうか話に聞いてゐるだけである。私の友人の某医師の語るところによると、斯うした話は昔からあるが、実際には在り得ぬことだと云うてゐる。私もさうでは無いかと思うてゐる。それから新聞の出所は近世社会大驚異全史に拠つたものである。