我国における巫女の問題は、頗る重要なる意味が存してゐるのである。
大昔の巫女は、ただに神占をしたばかりでなく、此の神占が一国の政治の基礎となつてゐたのであるから、かなり政治にも深い関係を有してゐたのである。更に、神占をするために咒文を発明したことが、やがて今日の文学の根本となり、跳ねたり躍つたりしたことが、即ち後世の舞踊の土台となつたのである。
まだ此の外に、戦争に出かけて士気を励まし、狩猟に往つて山ノ神を祭り豊猟を獲さしめ、舟に乗り込んで航海の安全を祈り、医者として治病に従ひ、収税吏として税金を取り立てるなど、社会的にも大きな役創を勤めて来た。殊に驚くべきことは、今日童話として語られてゐるもののうちに、巫女が神を遊ばせるために拵へた文句が多く加はつてゐることである。そして此の文句が、更に後世になると一段と発達して、曾我物語とか、義経記とかいふものにまでなつたことである。かうした大きな力を有してゐた巫女も、女なるが故に時勢に後れ、社会の落伍者となり、明治四年に一切の巫術が禁 止されてから後は、全くの日蔭者となつてしまつて、纔に隠れて神占をするやうになり、漸くその跡を断たうといふ有様である。昔思へば、巫女の末路も亦気の毒なものである。