神社を離れて町村に上着した巫女は、後になると専ら「口寄せ」を本業とするやうになつた。そして此の口寄せには、死人の霊魂を冥土から喚び出して物語をさせる死口と、遠く離れて暮してゐる者の霊魂を引き寄せて、物語をさせる生口と、更に一年なり一代なりの禍福吉凶を、守り神に語らせる神口との三種類がある。
そして此の口寄せは、不思議の咒術として天下の迷信者を驚かし、永く世の中に行にれてゐたものである。
死んだ者と話をすることが出来るとか、遠くに居る者と語ることが出来るとか云ふことは、俗人の迷信を唆るには、実に誂へ向の方法と云はなければならぬ。
そして此の口寄せにも、種々なる作法が存してゐるが、ここにその代表的なものを挙げると、先づ巫女は外法箱(此の中には流義によつて入れる物が違ふが、例の髑髏神や動物の骨などを入れるのも ある)とて高さ一尺四五寸、横八寸ほどの物を前へ置きて正座し、依頼者に丼か茶碗へ清水を汲み入れさせ、死口なれば、枯葉でその水を左へ三遍かきまはさせ(生口なれば青葉で右へ三遍、神口なれば紙撚で同じく右へ三遍かきまはさせる)それが終ると、巫女は梓弓(長短いろいろある)の弦を細い竹の棒で叩きながら、(流義によつては弓を叩かず、その箱へ右手を載せ頬杖するのもある)神降しの咒文を唱へるのである。
神降しの咒文も、時代により流義により長短と雅俗の差別はあるが、普通に用ゐられたのは左の文句である。
それ慎み敬つて中し奉る。上は梵天帝釈四大天王、下は閻魔明王、五道の冥官、天の神、地の神、家の内には井ノ神、竈の神、伊勢の国には天照皇天神宮、外宮には四十末社、内宮には八十末社、雨の宮、風の宮、月読日読の御神、日本六十余州すべての神の政所、出雲の国の大社、神の数は九万八千七社の御神、仏の数は一万三千四個の霊場、冥道を驚かしここに降し奉る。おそれありや、この時に万の事を残りなく、教へてたべや梓の神、親族眷属の諸精霊、弓と矢の番ひの親、一郎どのより三郎殿、人もかはれ水もかはれ、変らぬものは五尺の弓、一打うてば、寺々の仏壇に響くめり。(中山曰く、此の文句の成立や、解釈や批評は、長くなるので省略する)
─巫女は此の文句を、低い声で節をつけて唱へてゐるうちに、身体を震はせたり、欠伸をしたり、漸次に神懸りの状態に入り、問はれるままにそれに答へるのである。