支那の蠱術を学んだ我国の巫女は、自分達が動物の憑き神を持つてゐるところから、種々なる悪辣なことを考へ出し、不思謡な動物の憑き物を人に憑け、そして祈祷を頼まれて金銭を貪ることを発明したのである。
そして、其動物の憑き物は関東のオサキ狐、信州の管(クダ)狐、飛騨の牛蒡種、京都附近の吸ひ葛、四国の犬神、中国のトウベウ、その他猫神、狸神、北越の飯縄狐などであるが、ここにその主なるものに就いて略述する。
関東のオサキ狐は、伝説によると、九尾の狐が宮中から追はれて下野の那須野に隠れてゐたのを、鎌倉の武士千葉三浦の両氏に退治られ、殺生石に化すときに、その九ッの尾が各地に飛び散り、尾が先から出来たのでオサキ狐と云うたのだと伝へてゐる。
然るに、此のオサキ狐は家に附いてゐるもので、俗に此の家筋をオサキ持と称し、縁談は元より物の貸借すら拒まれたものである。それは此の家筋の者は、男女ともに狐のやうな真似をするとか、又は憎いと思ふ人を取り殺すとか、此の外様々なる悪評を立てられてゐるからである。
信州の管狐も、亦これと同じであるが、若し『アノ家には管狐を飼つてゐる』と言はれやうものなら、全く村内からも親族からも特別の取扱ひを受け、『おれの家は腐る方だが、あそこは是れだからな』と、物を掻く手真似をして見せる。
腐るとは業病の血統で、掻くのは狐を意味してるる。即ち業病よりも管狐を恐れる意味である。
管狐の家筋が、斯うまで嫌はれるのは、これに憑かれると、すつかり狐になつてしまひ、 『某の死んだのは、おれが締め殺したのだ』或ひは『某の家の馬の病気は、おれが仕業た』と云ふやうなことを口走つて、全く精神病となつてしまふからだと云はれてゐる。