奈良朝に支那の蠱術が輸入されてから、我国の巫術は一段と深刻味を加へるやうになつた。支那では占くから動物の頭骸骨や、人間の髑髏などを用ゐて行つたものである。
それを学んで我国の巫女も、好んで動物の骸骨や人骨などを用ゐ、これを自分の守り本尊のやうにして、神意に仮托して種々なる悪いことを遣つたものである。
我国の巫女は、神を身に憑けて託宜をするのが本務であつたが、支那の呪術に教へられるやうになつてからは、猖んに人を呪詛したり、悪い病気にかからせたり、その害毒は頗る猛烈になつて来たのである。
そして、是等の守り本尊とも見るべき咒神を、巫女が如何にして拵へたかと云ふに、これは時代により流儀により、種々なる拵へ方があつたが、ここにその代表的なものを挙げると、髑髏神にあつては、先づ外法頭とて、恰も後世の福助人形に似たやうな偉大なる天憲(アタマ)の持主を見つけ出し、生前から約束して置き、愈々その者が病気で死ぬと云ふ間際に首を斬り落し、往来の烈しい街道の土中に首を埋め、十二ヶ月目に掘り出し、髑髏に附着した土を取り、それを捏ねて人形(一寸五分ほど)に作りあげ、これを厨子に入れて持つてゐると、何事でも問ふがままに教へてくれると伝へられてゐる。
更に動物の方の咒神の拵へやうは、一匹の白犬を連れて来て、それを首だけ出して土中に生埋めとなし、犬の目前に、沢山の御馳走を並べて置くのである。
さうすると、犬は腹が空いて来ると共に、その御馳走を喰べようと涎を流し、全身の力を雙眼に集めるところを見て犬の首を切り、それを同じく厨子に納めて持つてゐるのであると言はれてゐる。
併し是等は、どれだけが事実であるか、彼等、巫女は秘事と称して口外せぬのであるから、その真相は知ることは出来ぬのであるが、兎に角に、大昔にあつては、かうしたことが咒力あるものと信じられてゐたことだけは事実である。
平安朝に某大臣が死んだところが、その大臣は、外法頭であつたと云ふので、墓を發かれたことがあつた。それは言ふまでもなく、髑髏神を作らうとする者の仕業であつたに相違ない。