五、神意を問ふ咒術

巫女が神意を占ふときに用ゐる道具も亦いろいろの物が在つたやうであるが、我国で一番古いものは水占とて、巫女が流れる水の面を何時までもヂッと見詰めてゐると忽ち錯覚を覚え、水面に種々なる模様が浮かんで来るので、それに由つて判断したものである。そして、此の方法は今でも行はれてゐて、福岡県嘉穗郡宮野村大字桑野の楪とら子さんは、此の水占術の大家であるが、これにも相当の熟練を要することは言ふまでもない。昔はこれを、「憑るべの水」とも云うてゐた。

そして此の占法は、少しく方法を変へて民間にも残つてゐる。よく花柳界の女達が将来自分の良人となるべき者の顔を見ると称して、夜半人の寝静まつた時刻に、紙撚(これに秘伝があると云ふが、余り不潔のことで記すことが出来ぬ)に火を点けて便所に入り、その火を翳して下を視詰めてゐると自然とその者の顔が浮かみ出るが、若し此の時に過つて、その火を顔に落すと赤痣になるとて怖れら れてゐる。

水占に次いで工夫されたものが、水晶占とて、水晶の珠を視詰めてゐると、水面と同じやうに種々なる模様が浮び出る。更に此の理窟を応用したものが、刀身を見詰めて遣る占ひである。これ等の道具から考へると、何でも光るものならば錯覚を起すことが出来るものと見える。併しかうして神意を問ふことは極めて古い形式の遣り方であつて、後世の巫女の間には余り行はれなくなつたのである。

全国の各地に亘つて、夥しきまでに残つてゐる小野ノ小町の姿見の井戸とか、又は和泉式都の化粧水とか云ふものは、地方を漂泊した巫女が呪術を行うた場所なのであつて、東京市外の戸塚の面影橋なども、亦その一つであると考へてゐる。

更に、上州妙義山の社前にある井戸や、紀州高野山にある井戸に、姿を映して見て映らぬときは、三年の間に死ぬと云ふ俗信のあるのも、更に人が気絶した折に、井戸を覗いてその人の名を喚ぶと蘇生すると云ふ俗信も、悉く此の水占に源流を発したものなのである。