大昔の巫女が神を憑かせるのに、如何なる方法を用ゐたかと云ふに、これには種々なる作法が存してゐたやうであるが、第一は巫女の身近くで火を焚かせること。第二は、巫女が飛んだり跳ねたり踊つたりすること。第三は周囲に大勢の人を置いて、その人達から異口同音に、何か呪文のやうな文句を、然も調律的に、高声で唱へさせることが、必要な条件となつてゐたやうである。
即ち火力で身体が熱し、跳躍で身心が疲労し、合唱で精神が恍惚となり、そして何時の間にか神懸りの状態に入るのである。
併しながら此の状態が、今日の学問で云ふ自己催眠と同じであるか否かに就いては、深く言ふことを避けて、唯々読者の判断に任せるとする。
かうして神懸りの状態にある巫女に対して、審神(サムハ)(俗に問口と云ふ)と称する者が、戦争の勝敗とか、農作の豊凶とか、又は病気の経過、商売の栄枯、その他何事にあれ伺ひを立てると、これに対して応答するのが、即ち神託なるものである。
併し事毎にかうした大掛りの作法を行ふのでは、中々手数が罹るので、本式のことは、何か一代の大事件でも決定するときたけ遣るやうになり、他のことは手軽に簡単に遣れるやうに工夫されて来て、単に巫女が「神降し」の呪文を唱へるとか、又は「神遊び」の文句を謡ふとか、それでなければ「笹はたき」とて、小笹を両手に持ち、呪文を唱へながら自分の顔を軽くたたいてゐると忽ち神が憑くとか、或は「梓弓」の弦を細い棒でたたきながら、神降しの丈句を謡つてゐると、直ぐに神懸りの状態に入るとか云ふ簡便のものが発明され、然もそれが巫女の多年の経験と熟練とにより、本当に煙草一服吸ふほどの短い時間で、神を憑けるまでになつたのであるが、後世には更に「憑き神」と云ふものが利用され、これが呪力の源泉と信仰されるやうになつたので、一段と手軽に行はれるやうに進んだのである。
猶ほ憑き神のことや、その作法に就いては、後で詳しく述べるとする。