昔は神に仕へる女を選定するには、神秘な儀式が行はれたものである。
伊勢神宮の子良に就いては、誠に畏れ多いので茲に述べることは差控へるが、鹿島神宮では物忌の侯補者として未通の女子二名を選み、その名前を別々に亀ノ甲に記し、それをお石の間で百日間火で焼くのである。神の意に満たぬ女子の名は、自然と消えてしまひ、残つた名前の者を物忌として神に仕へさせるのである。そして一度物忌になると、聖職に居る間は親子兄弟でも男子に面会せぬこと、大地を踏むを許されぬことのこつの掟を厳重に守らなければならなかつたのである。
更に不思議なことは、物忌として神寵に浴してゐるうちは、幾歳になつても、決して月水を見ぬことである。これは現代の学問から云へば、即ち巫女の性格転換であつて、永い間に女子の気分が薄れて、男性化することを意味してゐるのである。その代り神寵が衰へると直ちに月経が通ずるので、それを機会として他の物忌と交替することになつてゐたのである。宮城県の塩釜神社でも、神に仕へる 女子は、生涯のうち男子には顔を見せぬ習ひとなつてゐた。
京都府竹野郡竹野村大字竹野の竹野神社は、古く斎ノ宮とも称したが、此の神社に仕へる女子の選定法は、更に一段の神秘を加へたものである。
昔は此の社の神官は、隣郡の熊野郡川上村大字市場に住んでゐたが、その神官の家に女子が生れると、神意の標として、何処からともなく白羽の箭が飛んで来て家の棟に立つ。これは女の子を、神社へ出せと云ふことなのである。それで、女子が四五歳になると、竹野神社へ斎女として納めるのであるが、此の神社は丹後の山奥に在り、幼少の斎女は怪禽猛獣と同居するにも拘はらず、少しも危害を受けなければ、また少しも恐るることなく、幾年かの歳月を送るのである。
そして年漸く長じ、月水通じ春情を催す頃になると、社内に大蛇が現はれ、双鏡の如き眼を怒らして斎女を睨みつける。此の不思議があると、斎女は神社を退るのが例となってゐる。
沖縄県の島々では、内地の「かむなぎ」をノロと称へ、市子に相当する者をユタと称へてゐるが、ノロの選定法は内地とは違ひ、不思議な方法が残つてゐる。
それはノロになる女子は、必ず原因不明の発熱があつて半病人のやうになるが、急々これは神が憑たのだと見ると、米、麦、粟、稗、豆の、五種を別々に白紙に包み、それを神前に供へて祈祷してから、その包みを女子に取らせるのであるが、米、粟、稗のうちを取れば、神の思召に叶うた者としてノロになれるが、これに反して、麦豆を取れば資格の無い者となつてゐる。