一、大昔の神主は悉く女性

我国では、大昔は神に仕へる者は悉く女性に限られてゐた。それ故に、男子が神に仕へる場合は名前を女に変へるか、女装しなければならなかつた。

現今でも氏神の祭礼に、男子が女装して式に加はるのは、その面影を残したものである。

古歌に、「東には女はなきか男巫、さればや神も男には憑く」と云ふのがあるが、これから見るも、女子が神に仕へるのが原則であつて、男子は例外であることが知られる。

それでは何故に、神々が女子の仕へることを悦ばれたかと云ふに、これは女子は体質的に感受性に富み、よく神々の意を人間に伝へるに適当してゐたからである。

更に露骨に云へば、女子はヒステリックの素質を多分に有してゐるので、神が憑きやすいからである。されば天理教の開祖である中山美岐子でも、大本教の教祖である出口直子でも、共に女性であつたのは神が憑き易いためである。女子は、男の知ることの出来ぬ不思議な神経を有してゐるのである。

斯うして神に仕へた女子を、古くは総称して、「かむなぎ」と云うてゐた。

伊勢の内外宮の子良、賀茂神社の「あれをとめ」鹿島神宮の物忌などは、名前こそ異つてゐるが、みな「かむなぎ」として神に仕へたものである。

然るに時勢が変り、信仰が衰へて来て、男子の神主が出て女子の職業を奪ふやうになり、ここに従来の「かむなぎ」がこつに分れ、神社に残るものは「湯立巫女」または、「神楽巫女」を勤めることとなり、神社を離れたものは町村に土着して、俗に「口寄せ」または、「市子」となつて(国々で種々なる俚称がある)神を憑かせて、占卜を職業とするやうになつたのである。