六、職業芸術に加へられた性的舞踊

舞踊を職業とする者の間に、どれだけの性的舞踊が伝へられてゐるか、私には詳しいことは判然せぬが、先年、小倉清三郎氏が主幹となつて、秘密雑誌『相対』を発行し、私も会員となつて購読してゐるうち、或時、我国に現存してゐる、性的舞踊を見て置かうと云ふ議が起り、斯道の達人(老巧な落語家だと聞いた)を招き、一夜その会を催したことがある。私のやうな不通人は、性的舞踊と云へば、因州因幡、浅い川なら、両しょぼ、かつぽれ位しか知つてゐぬのに、その夜の番組の多い(雑誌や番組は震災で焼いてしまつた)のと、更に演出の露骨なるには一驚を喫した。これから言ふのも早速であるが、職業者によつて作られた性的舞踊─殊に頽廃せる江戸三百年の歳月の間に、どれほど存してゐたか知れたものでは無いと、考へざるを得なかつたのである。平安期に足柄明神が、遊女に教へたとある郢曲足柄、鎌倉期の白拍子が好んで舞うた今様振、室町期まで紀州熊野の巫女が奏した馴子舞などに、如何ばかりの性的分子が含まれてゐたか、それは私の学問の力では見当もつかぬ問題であるが、江戸期の初めに行はれたと思はれたものには、かなり露骨なものがあつたやうである。「類聚名物考」(楽律部)から三つほど抄出する。

両義舞(一名天地和合舞)此の舞は歌舞伎なり、名古屋山左衛門神代の事を和げて舞ひしなり。両義とは太極わかれて陰陽の二つとなりしを云へり。舞人二人にて舞ふ云々。『千早振る我心よりなす業を、つづれの神かよそに見るべき』千早振るの意味は胎内上下に蓮花あり、男の潜精白蓮花にとどまりて十月生れ落るを云ふ。又出雲の神十月めは母の胎内を出る故に、雲を出るうちは神なし我心そのまま神なり。此の秘事を以て舞ふなり。歌に『千早振る榊の花は我身にて、出で入る息は外宮内宮』云々。これ男女の体にして和合の伊勢なり。胎内に落入る一滴白赤の婬は男子女子の淫なり云々。大秘事の舞なり。器物は太鼓と鼓を二挺と笛を用ゐ、一七日火を改め海潮をもて身をそそぎ、諸々の穢れを去り髪を洗つて舞ふことなり。

烏舞 此の舞は頭に鳥居を戴き背に烏の羽を負ひて舞ふなり。二神未だ出現なき前は××の事をなさず、或時は抱き或時は手枕を並べて、××はあれども動くことなし。二神より初めて動き給ふ秘事なり。鳥居は××の姿たとへば天の浮橋の心なり、熊野山九本の鳥居は老陽の数にして、出入ることを司るなり。其外仏によせたる白河二道の秘事なり云々。

●(手偏に客)接舞(一名妹背語らひ舞)ようせうの舞は女の姿にて、撥を持ちて太鼓を打ちながら舞ふなり。『なふまくさつたるま、ふんだりきやそだらん』此の秘文をもて舞ふなり。此の舞をまへば女夫の中つじつまのいせかねたる裏も表にしたがうて、叶はぬ恋も心のままになるなり。

此の三つの舞踊が、如何なる演技であつたかは、知ることが出来ぬが、その解説から見ると、かなり露骨なものであつたらしい。殊に此の解説たるや、室町期の末頃に行はれた神仏混合の説に、多少の邪教立川流の奥みまで、加はつてゐるやうに思はれるもので、元より論にも評にもかからぬものであるが、当代の民間俗信やら職業的の舞踊やらを知る上に、幾分でも役立つとこるがあらうと考へて掲載した次第である。

我国の性的舞踊と民俗とは、以上でその総てを盡したものでは無い。動物に扮する獅子舞、鷲舞、鶏舞などを始めとして、此の外にも神事舞である雨乞踊、ツク舞、蜘蛛舞など沢山存してゐるが、それ等に就いては又の機会に譲るとする。