四、受胎の咒術として挙げられた性的舞踊

婚姻の目的が、子を儲けるにあるとすれば、花嫁は一日も早く、此の目的を達成するやうにせねばならぬ。ここに於いてか婚礼の式場、又は他の機会に於いて、此の目的を促進すべき咒術的作法が、種々なる形式で行はれるのである。そして此の儀式は『嫁の尻打』を主なるものとして、他にも幾つか残されてゐる。富山県婦負郡の鵜坂神社の『尻たたき祭』なども、後世になると合理的に解釈されて、神官が男に接した数だけ、女の尻を打つので此の名があると云うてゐるが、その古意は受胎の咒術に過ぎなかつたのである。左にこれが舞踊の伴ふものを一二挙げるとする。

宮城県岩沼町地方では旧正月十四日の夜に、若い男女が集つて各々巧みに変装し、木製の男の印を細い紐で腰間に結びつけ、新婚者の門口に立ち『明きの方より茶せごに参りました』と云ひながら座敷へ上り、それを振り廻しながら、祝ひ言を謠ひつつ舞ひ踊る。それが町の誰だと云ふことが判然せぬときは、新夫婦が出て酒肴を馳走するが、これに反して誰々だと判明すると、這々の体で逃げ帰ることになつてゐる。子供も隊を組んで祝ひに来るが、これには餅を与へる。土地では此の行事は夫婦和合の基だと称し、新婚の家では当日は酒肴を調へて、祝ひに来るのを待つてゐるさうだ。此の民俗は他地方に行はれてゐる生剥ぎ、トヒトヒ、トノヘイ、コトコトなどと同系のもので、その原始的の意味は、神が新婚者を祝福に来たものなのである。それが後世になると、土地の若者が神の代理となつて、来るやうになつたのであるが、それ故に誰だと云ふ正体が判れば、神としての資格が無いことになるので、逃げ帰るのである。そして、此の民俗は古い神の代理として、行はれてゐる所がある。山梨県東八代郡田中村では正月十一日に道祖神祭をするが、此の折に前年結婚した家に、道祖神の使と称する獅子舞が来て舞ひ踊る。これには村の若者が附添うて往くが、新夫は羽織袴を着し土下座して之を迎へる。獅子が家へ舞ひ込むやうな振りを見せて中々入らず、他の新婚者の家へ舞ひ行く、新夫はそれと見るや先駆して他の新郎の家に往き土下座して待つ。かく度々新婚者を苦しめてから獅子舞を遣るが、それが済むと若者が御幣で竈の周りを三度廻りながら祓ひ、祝儀を得て帰るのである。これも遣り方こそ変つてゐるが、道祖神が性的神である事より推して、一種の受胎咒術と見ることが出来るのである。そして、更に越後国魚沼郡堀内村に行はれた花水祝は、以上のものと比較すると、一段と原始的のものであつた。郎ち同村では正月十五日に、新婚者に水を浴びせるのであるが、神社で行列を整へ、一番に笠鉾、二番に鈿女命に扮した者、仮面を被り、箒の先に紙へ女陰を描いたものを付けたのを持ち、別に猿田彦に扮した者、同じく仮面を被り、手杵のさきを赤くして玄根に似せたものを担ぎ、三番に山伏、四番に小供の警固、五番に踊りの者の順で、新婚者の家に練り込む。家近くなると歌ひつつ踊る、踊りが済むと新郎に水を浴びせて式を終るのであるが、厳寒中に水浴させられるなど、新聟となる又辛いかなである。そして、此の水祝ひは、宮中を始め殆んど全国的に行はれてゐたもので、古く月水を火と称したので水をかけてこれを消す─即ち月水が止まれば妊娠すると云ふ、受胎咒術に外ならぬのである。