三、成婚を祝福するための性的舞踊

婚礼の夜に行はれた舞踊は、新夫婦その者が歓喜と感謝の情から遣るのと、これと異り招待された客達が、新夫婦を祝福するために行ふのとの別があつたやうたが、私の寡聞の故か前者に就いては耳福に接しぬので、今は後者にのみ関して述べるとする。福島県相馬地方では、結婚式が無事に済むと、招かれた女達は、我勝に手に擂粉木を持つて裸踊りを始める。此の地方では裸踊りをするほどの女は、男勝りだと云うてゐる。擂粉木を持つて裸で踊るとは、それが或種の暗示であることは、改めて言ふまでも無い。千葉県東葛飾郡三ッ堀村では、毎年二月初午の日に、前年に嫁を迎へし者、又は聟に来た者を鎮守の稲荷社に集め、村民も寄合つて酒を飲み踊り歌ひ、それが済むと新郎を山車に乗せて、大原口の池の辺に曳出し、素裸にして此の池へ突き込み、村民は池の周りから、芝の切つたのを投げ入れ、囃方は笛鉦太鼓を鳴らし、鬨の声を挙げながら踊り狂ふ。そして、是等の新郎の妻は終りまで見てゐなければならぬ事になつてゐる。此の習慣には多少とも聟いぢめの思想が加つてゐるやうであるが、茲では態とその問題には触れぬこととする。長野県南安曇郡地方の村々では、新郎新婦の取結びの盃が済むと、披露の宴に移るが、来客は酔の廻るにつれて、三絃太鼓などの鳴物入にて、歌ひつ舞ひつ大騒ぎするうちに、若者達は燈火を消し、聟を嫁の部屋へ担ぎ込む式を行ふさうである。これは単なる酒興の上の舞ではなく、聟を担ぎ込むに必要なる事であつたに相違ない。高知県の村落では祝言の式が終るや否や、村内の若い男女が、或は笊を被り或は手拭で顔を隠し、又は男子が女装などして座敷へ押込み、踊つたり歌つたりした後に、酒肴を請けて帰つて行く、これを『酒つり』と称してゐる。郎ち一種の祝儀舞の土俗化したものと考へられる。福岡県鞍手郡木屋瀬村附近の村々では、婚礼が滞りなく済み、親族その他の来客がお開きと云ふ時、新郎始め大勢の者が、笛三絃太鼓小鼓などを鳴らし同音に歌ひ舞ひ、恰も俄踊りのやうな騒ぎをなし、村境まで送る事になつてゐる。新郎がその夜に踊るのは此の一例しか承知せぬ。これに就いては、広く読者の高教を仰ぎたいと思ふ。

我国の婚礼にやや纏まつた儀式的舞踊の存在せぬことは、古くから無かつたのではなくして、中世から滅びたものと見るのが穏当である。それは外の事情でもなく、謠曲中の一部が必ず謠はれるやうになつたので、他の歌謠を駆逐し、更に結婚式の単純さが、無踊まで滅却するやうになつたのである。換言すれば婚姻が咒術的から合理的へ進んだ結果である。