舞踊の起原に就いては、凡そ三つの事象が融合してゐると云はれてゐる。即ち第一は天体に於ける日月星辰の運行の模倣たる儀式的、又は宗教的の舞踊。第二は人間の主なる熱情の劇的、若くは歴史的表現(恋愛と戦争)の模倣。第三は動物祖先の信仰の表現たる、動物の運動の模倣がそれである。然るに我国の舞踊の起原にあつては、私の寡聞のためか、第一と第三との要因が割合に稀薄であつて、独り第二だけが基調をなしてゐるやうに考へられるのである。換言すれば我国の舞踊の起原は、宗教的ではあるが、それと同時に性行為の模倣(若くは誇張)が濃厚である。勿論、日月の運行に対するものや、動物に扮するものも皆無と云ふのではないが、質に於いて先後があり、量に於いて多少があると思はれる。
誰でも知つてゐる事ではあるが、天ノ磐戸の前で、鈿女命が空槽伏せて踏み轟かし『神懸りして胸乳を掻き出し、裳紐を番登(ホド)に押垂れて』舞踊したのが初見であるが、宗教的であると共に、性行為の模倣であることは明白である。そして、我国でも舞踊は原始期に溯るほど、性的模倣の分量が多いのである。
先年、新蘭のマオリ人の一団が東京に来て、日比谷の音楽堂で、彼等固有の舞踊を公演したことがある。服装も楽器も欧風に改められてゐた上に、異郷へ来て然も白昼公開したのであるから、女子連の舞踊は極めて慎み深いものであつて、却つて物足らなさを感じる程度であつたが、男子連にあつてはこれに反し、一度、踊り始めるや慎みも戒めも忘れてしまひ、殆んど正視するに忍びぬほどの性的のものであつた。
台湾の霧社蕃の踊りは、婦人が隠所を公衆の面前に時々現はして、種々なる格好をするが、彼等の、踊りは××作用から発達したものであらうと報告されている。更にアイヌ婦人の踊りも、亦頗る肉感的であり挑発的であつて、これを見物している男子は、性欲の衝動に堪へられるような素振りを示したり、奇声を発したりすると云ふことである。そして斯うした事象から結論して、我国の踊りの語原は、男子の娶り(女取り)に対する女子の踊り(男取り)であると喝破した学友ネフスキー氏の主張は、卓見として承認すべきものである。
舞踊の起原が宗教的であり、性行為の模倣である以上は、それが民俗的に又は職業的に、幾多の種類と流派が生れたとしても、その基調に於いて常に此の二つのものが、強くはたらいてゐること言ふまでも無い。私はここに是等に属する性的舞踊のうちから、特に民俗に交渉の深いものと信ずる二三を抽出して管見を述べるとする。