各地に行はれた雑魚寝は、必ずしも秋祭に限つたものでは無いが、併しその起原は穀神への報賽であつたと見えて、秋期に行ふところが多く、その他の季節に行ふのは後世に何等かの事情で変更したのであらう。山形県の庄内に山寺と云ふ古刹がある。毎年七夕の夜に麓の町村の男女が登山し、民家に宿り枕席を共にする。新旧識を分たず、恰も大原の雑魚寝の如しとあるから、その痴状知るべきである。石川県珠洲郡三崎村大字寺家の三崎権現社では、昔は毎年八月十五六の日を祭日としてゐたが、宵宮である十五日の夜には雑魚寝とて、近郷近在は言ふに及ばず、遠く数十里から男女が群集し、通夜して殷賑を極めたものである。汽車も汽船も無かつた時代にあつて、数十里の旅をかけて集るとは、如何にも誇張に過ぎてゐるやうに聞えるが、神に対する敬虔なる信仰と、性に惹かるる本能の執着とは、当時の人達をさうさせずには置かなかつたのであらう。栃木県栃木町に近い県社太平山神社の例祭は、毎年八月四日から翌五日にかけて行はれるが、四日夜は俗にお籠りと称して、参詣の男女が雑魚寝して風俗を紊すので、警察署では取締を厳にし、これが陋習を根絶せんと努めてゐるが、因襲の久しき中々に払拭されぬさうだ。そして以上の性的行事が、農業祭に起原を発してゐる事は疑ひない。

笑ひ祭で殊に有名なのは和歌山県日高郡川上村の丹生神社のそれであるが、社伝によると此の祭神は女神であつて、或年の十月に出雲大社の神集めに出かける際に、あまりに周章で、裸体のまま実に乗つて出かけたが、神木へ腰巻を引つかけて取られ、それを締め直す間もなく飛んで往つたのを氏子が見送り大笑ひしたのが祭の始めで、今に十月初卯ノ日には氏子一同が社殿に集り、長老が笑へ笑へと号令すると、氏子は大に笑つて祭をすると云ふことである。此の話なども腰巻を木に引つかけた件は後世からの附会であつて、その古い相は他の性的行事と同じく、腰や尻によつて象徴されてゐる祭儀が存してゐたのであると思ふ。熊本県玉名郡腹赤村の名石明神の鯛換祭は十月十三日であるが、昔は未婚の女子は盛装して神前に集り意中の人を求め、男は女をかついで海岸へ臨時に建てた妹小屋に運んで契つた。今では妹小屋は見られぬが一にがだけ祭とも称してゐる。此の鯛換祭なども古くは上総の一ノ宮に行はれた抱きかかへ祭と同じ言葉で呼んでるたのが、こんな風に訛つたものと思ふ。そして是等の秋祭に伴ふ性的行事は神への報賽と信じたればこそ斯くは永続したのである。