我国にも男女の縁は人が結ふのではなくして、神が結ぶものだと信じた時代がある。そしてこれを神判成婚と称するのである。岐阜県郡上郡和良村の戸隠神社の秋祭は、例年九月十六日に行はれるが、神輿の渡御があり踊り屋台が出るなど中々の賑はひである。そして此の祭には祭神が七十五組の男女の縁を結ぶとて参詣者が多い。同郡東村大字祖師野の氏神祭は、毎年旧九月十三日から三日間行はれる。同地方の俚謡に「踊り見るなら祖師野の宮よ、祭り見るなら国栖の宮」と歌はれてゐるやうに、此の秋祭の踊りは有名なものである。祭の日が来ると社内で鼕々と打鳴す太鼓の音に夕月の影が濃くなる頃から、村中の老若男女が鎮守の森に集る。音頭につれて踊り狂ふ男女の群には村会議員、青年会員、消防夫なども交つて、大きな輪をつくり男は女を擁しながら踊りつづける。かく踊りながら共鳴する男女があれば、許された夜の奔放なる場面が展開される。夫も妻も、処女も寡婦も、淫欲を恣まにする人々には、文明の掟が何であるかを知らないやうだ。斯うして三晩とも踊り明すのであるが、此の奇習によつて生れる幾多の喜悲劇は、総て神の裁きとして解決され、且つ此の祭が縁となつて結ばれた男女は、氏紳の許した夫婦として、村民から羨望されるのである。但し此の踊りには他村の者は一切参加することを禁じてある。

福岡県京都郡犀川村大字木山の生立八幡宮の礼祭は、九月二十九日の秋祭が最も大切とされてゐたのだが、今では五月九日に繰りあげて行ふやうになつた。此の晩は夜市と称し、氏子は必ず参詣することになつてゐるが、古くから「犀川夜市の石枕」と云はれてゐるほどで性の解放が行はれ、若者は互に肩を組み合つて練り廻り、婦女子に戯れる風が今でも猖んである。それでも此の夜だけはどんな家庭の女でも、必ず参詣することになつてゐる。神輿は九日の朝に本宮を出てその夜は御旅所に泊り、十日午ごろに還御するが、その折に社前を流れる犀川のほとりまで来ると、氏子の婦女は老若を問はず、神輿について来る山車を引くために、裾をからげ腰巻を出して綱に取付くことになつてゐる。村民の階級を問はず参詣することになつてゐるとは、古い世からの仕来りであると思ふ。