尻抓り祭とかお腰や祭とか称して、性的行事の伴つてゐる秋祭も尠からず各地に存してゐるが、特に著聞してゐるのは、九州犀川八幡宮の尻抓り祭である。俚謡に「犀の川原で尻ひねられて、今にひりひり痛ござる」とあるが、その大昔にあつては単に尻を抓るのでは無く、その行事が他に在つたことは言ふまでもない。西宮市の蛭子社のお腰や祭は、社伝によると蛭子神が此処まで歩いて来て、草臥れたと云うて腰をかけたまま何時までも歩き出さぬので、お供の神が早くお立ちなされと腰を抓つたので、此の祭のことを斯く称するのだと云うてゐるが、これは後世の附会であつて、古くは腰によつて代表された性の行事であつたことは想像に難くない。静岡県伊東町の音無神社の例祭も有名なる闇祭であつて、毎年十一月十日に行はれるが、その作法は実に奇抜なものである。即ち神宮始め氏子の者が拝殿に列座し闇中に祭礼を行ひ、式後に神酒の土器を廻すが、その折には無言のまま次へ次へと尻を摘んで合図とするので、一にこれを尻摘み祭とも云うてゐる。昔は参詣する者は子女の別なく尻を摘み合うて戯れ興じたものであるが、今は段々と少くなつたとある。これなども他の尻抓り祭と比較して考ふるとき、その古い相が性の解放にあつたことは言ふまでもない。全体、闇祭と称して神前の燈火は勿論のこと、村中の総ての燈火を消して闇黒のうちに祭儀を執行するものの多くは、此の性的行事に便利なるための工夫に過ぎぬのである。東京に近い府中町の国魂神社で行ふ闇祭も、かなり露骨な性の取引があつたことは段々と証拠が残つてゐる。更に京都に遠からぬ宇治町の闇祭にあつては、異名を種貰ひ祭と云はれただけに、極端なる性の解放が行はれたものである。闇祭は概してこれが目的となつてゐたやうである。