祭祀は神人交通の一方法であるが、これを農業祭に限つて言ふと、その間多少の特殊事情が存するのである。

我国の農業祭は、春夏秋冬の四季毎に行はれてゐるが、その目的は稲作の豊穣を祈るにあつても、信仰と神事とに於いては幾分かの相違を見ることが出来るのである。例へば古く二月八日を事納めと云つたのは、愈々正月以来の神事を終り、新たに此の日を以て春耕に入るので、斯く称してものである。即ち此の月の吉日を択んで水口祭を行ひ、高き山々に鎮り坐す神を地上に招ぎ降して田ノ神となし、稲作の保護を請ひ祈るのであつた。されば此の春祭に行はれる神事は、稲作の将来を祝福するのが主たる目的であつて、信州下高井郡秋山村は、粟を常食とするほどの塞村であるが、春祭には麦稈で巨大なる××の形を作り、今年の粟も此のやうに実れと家毎に持ち廻つて祝儀としたのは、その希望を穀神に訴へるためである。陽春三月の桜の咲く頃に挙げられた鎮花祭なども、最近の研究によると秋の稲の花の風に疾く散らぬやうに、「休らひ花」と囃して、祭つたのであると言はれてゐる。夏祭は農業祭の古い相が失はれて、専ら時疫を払ふ意味にのみ解釈され、然もそれが農村を離れて都会に移つてからは、その情調が全く一変してしまつて謂はゆるお祭騒ぎの賑しいものとなつてしまつた。そして秋祭には稲作の豊穣を促進させる呪術的方面と、田ノ神の守護によつて豊稔であつたことを感謝する方面とがある。ここに専ら後者に就いて記述する。冬祭は新しき春を迎へる神事が多く、且つここでは問題の外に渉るので省略する。