白川の風俗を書いたものは相当に存してゐるが、ここには「血族結婚の実現地」と云ふ本から摘録すると、同村の女性は殆ど悉くが貞操を開放して異郷の者を歓迎する。それ故に村の子供は私生児が多く「彼れは山子の胤、之れは木挽の子、それは売薬人が拵へてくれた童児である」と云ふ実情で、殊に同村へ入り込むで女性を征服する者は、富山の売薬人だと記されてゐる。それに余りに奇怪の風俗と思はれるのは、斯うした仇し男に感謝の意を表する為めに、私生児が七歳に達するまで女は手づから半掛草履を作つて贈ることである。

筆者の実見記の一節に、「自分等も其夜は幾何の酒を騙つたが、何れも底のぬけた樽である。殊に婦人は慎みもなく、××体となり、紅唇●●として●●を●るには、ぼアたゼンるを得なかった。酔っては件の如く狂乱痴態の幕を演じ、特に婦人は男子より一層猛烈を極め、震い付いて×しい××そばかりなら未だしも、筆にするさへ如何はしい醜態を、尋常一様の茶番事としか思っていなゐない(中略)。そして黒漆の髪を白雪の肌に拠乱し、牀褥に飛び込むのである。」と。斯うした生活に家族相婚の多いことは不思議でも何でも無いのである。