近親婚の粹とも云ふベき家族相婚の実際を、つい近年まで保存してゐたのは飛騨国の白川村(他国にも類例は多くあるが今は省筆する)である。此の村は我国の古代制度であつた大家族生活をつづけて来て、多きは六七十人、少きも三四十人の家族が、同じ屋の棟の下に暮してゐたのである。そして家長(戸主)が絶対の権利を有してゐて、結婚を許される者は僅に家長とその嗣子だけであつて、他の家族は男女ともに表向には縁組することを禁じられてゐた。斯うして雑居してゐたのであるから、その風紀の如きは近親婚どころの騒ぎでなく、実際に就いては如何にするも筆舌にすることが出来ぬのである。勿論、明治期になつてから此の制度も崩壊し、在りし昔の面影は見ることは出来なくなつたが、それでも喫驚するやうな事が多いのである。