土佐国の妹背嶋の由来は、「今昔物語」に載つてゐる有名な話であるが、ここにその梗概だけを記すと、或る百姓が雌れ嶋に田植するとて、早苗その他の農具や食糧などを船に積み、己が子の兄十四五、妹十二三の両名を乗せて漕ぎ出さうとするとき、急用を思ひ出して親爺は宅へ戻つた留守の間に、潮がさして来て船は自然に流れ始め、遂に遥か隔つた無人嶋へ漂着してしまつた。そこで兄妹の者は拠ろなく田を作り苗を植ゑてその地に土着し、長じて夫婦となり暮らすうち男女数名の子を儲け、更にその子供同士が夫婦になつて子孫繁栄し、今にその嶋を兄妹嶋と称してゐる。

此の話は一種の地名伝説に外ならぬが、併し我国には兄妹が夫婦となり、その子孫が増殖して一郷一村をなしたと云ふ事は少からず存してゐる。一々例を挙げることは煩はしいので省略するが、八丈嶋にもその古伝説があり、琉球諸嶋のうちにも残つてゐる。そして此の古伝説から事実に還元されることは言ふまでもない。