極端なる近親婚のうちには、到底、常識では判断の出来ぬほどに復雑した縁組が存してゐる。奈良朝より少し前に日鷹吉士いふ者が高麗へ渡るとき、それ見送りに来た婦人が「母にも兄、吾れにも兄、若草の吾夫」と歌つて泣いたと云ふことである。

此の縁組などは前記のお互ひが伯父になると云ふのよりは、更に一段と復雑を極めてゐて、一寸やそつとでは中々考へ出せぬのである。読者のうちで如何にすれば、母の兄でありて、然も自分の兄であつて、猶それが自分の亭主となるか考へて見てくれませんか。斯うした縁組を持ち込まれた出雲ノ神は、必ずや渋面つくつた事と思はれる。