大儒、荻生徂徠の「南留別志」の一節に、「周防国に畜生谷といふ里あり。母子兄弟の間にて婚姻をなすと云ふ。平家の余類なるベし。敵を避けて人の通はぬ所に隠れ居て、子孫を長じたらんは、おのづからに一族の外に婚姻すベき族なかるベければ、里の習はしとなりしなるベし」とある。

此の話は徂徠の耳学問であらうから、果して周防国に斯うした汚俗が行はれてゐたか否か、それは頗る確実性を欠いてゐるものであるが、併し斯うした極端なる近親婚の実例は、周防国のことは姑らく措くとしても、他に幾らでも存在してゐて、決して珍しい話では無いのである。早い話が、我国で古く妻女のことを「吾妹」と称したのは、同胞婚が公然と行はれた証拠である。ましてそれが平家の余類とか北条の残党とか云ふ日陰者が、山に隠れ谷に潜んで暮すとすれば、その境遇上からも極端な近親婚が行はれることは無理もない話である。熊本県などでは明治期の中頃まて「山で三年暮せば××も夫婦」と云う俚語通りの事実が存してゐたのである。