神社の祭礼に分娩の所作事

我国では日神も穀神も、更に山ノ神も酒ノ神も、みな女性と云ふことになってゐる。また此の外に水ノ神も草ノ神も土ノ神も、悉く女性であると伝へられてゐる。斯うして人間の生活に欠くことの出来ぬものが、殆んど女神によって支配されてゐると云ふことは、ただ単に女性が男性に比して多分の神性を有してゐると云ふだけでは無くして、その生殖から生産を連想した女性礼讃に原因するのである。他の民俗は姑らく措くとして、これを穀神を祭る行事から見ても、さう言ふことが出来るのである。俗説によれば電光を稲夫(いなずま)と云ふのは、電光によって精を得て、稲穂を孕むので斯く称するのたと云うてゐる。元より民間語原説であって深く言ふことは省略するが、兎に角に穀神を女性と信じた基調が、女子の生産に由来してゐるだけは疑ひない。そして、此の思想は稲の苗を植ゑるに早乙女とて女性に限ってゐたことや、更に田植の最中に是等の早乙女をして分娩の所作をなさしめたり、又は田祭の神事に同じく小供を産む真似をするまでになった。一二の例を示すと、島根県簸川郡江南村大字常楽寺の安子神社の祭礼には、早乙女が早苗を植ゑながら安産する有様を演ずる。現今ではこれがため安産の神として信仰されてゐる。高知県安芸郡吉良川村の八幡社では、三年に一度、五月三日にお田植祭を行ふが、その行列中には酒絞りと称する女装の男子一人と、取揚げ婆と称する男子一人とが加はり、酒絞るときに安産の所作をするさうである。大分県東国東郡西武蔵村の氏神社の歩射祭には、オナリ(早乙女のこと)と称する女装の男子が、田柚の最中に分娩の真似をする。そして生れた子が男か女かによって豊凶を占ふのであるが、小供の人形は秘かに神官が神意を問うて拵へ、オナリヘ渡して置くのである。更に静岡県引佐郡川名村に行はれる火踊り祭は、此の古い俗信を今に克明に保存してゐる。ここに概略を摘記すると、同村では毎年三月八日の夜に村民が集って此の祭を行ふが、舞をする者はそれぞれ変った衣裳を着け仮面を被り、御祭礼田唄を高唱し、笛太鼓に調子を合せて踊る。此の踊りの半ばに五名の小禰宜が別室で、頭手足胴と各自が分担して、オブツコ様なる藁人形を作るのであるが、これを拵へてお堂へ運ぶまでは、一切無言でやることになってゐる。そしてオブッコ様なるものは高さ二尺ほどで、袖のある白布を着せ、同じく白布で作った「児オプイ」で一人の禰宜が背負ひ、お堂内へ移し汁掛飯を献ずる。此の行事のため川名村では此の祭の済むまでは、決して汁掛飯を食はぬ習慣となってゐる。舞は剣の舞、おんば(姥)はらみった(妊婦?)その他二三ある。昔は此の祭の夜に青年男女の婚約が、猖んに行はれたものである。そして此の祭礼の中心が豊稔を祈るための、一種の呪術であることは言ふまでもない。かく各地の田祭に分娩の真似をするのは、女性が多産するやうに、稲も繁殖せよとの意味に外ならぬのであって、詮ずるに女性礼讃の民俗化と云ふ事が出事るのである。更に兵庫県加古郡氷丘村大字大野の日岡神社の祭は、例年正月亥ノ日から初めて巳の日に至る七日間を、亥巳籠(忌籠)の神事というて厳重に行はれる。そして、氏子は一切の鳴物と音曲を禁じ、下男下女をば悉くその故郷に帰し、犬は他村に繋ぎ鶏は山に放ち、家の戸障子には溝に油を塗って鳴らぬやうにし、柄杓の類には藤蔓をまとひ、談話はお互ひに耳に就いて言って声を出さず、昔は理髪も入浴もすることが出来なかった。かく厳しく物忌するのは、日岡明神が御子神を生むためだと云はれてゐる。忌の満つる夜になると、日岡山の俗に乳母ヶ懐と云ふ所に忌み籠ってゐた神主が其処を出て、田中の松、石の神盥より一の鳥居へ出仕する。これを俗に御子放しと云うてゐる。神主はその時に田中の松で産御供の式を行ひ、石盥のところで産湯をかける式を挙げる。此の祭儀なども稲の豊熟を祈ったものが、後に御子産みの神事に遍ったことが知られるのである。