女子の性器に不思議なる呪力の有るものと信じ、これを中心とした種々なる民俗の存することは、周知のことであるが、その一つとして×毛を崇拝することを、挙げることが出来る。明治前までは遊女屋や料理店などで、来客の少い時には、他の家の客を奪ふ呪術として女子の×毛を人に知られぬやう家のどこかへ膏薬で貼つて来ると利目があるとて行ひ、現今でも三名の婦人の陰毛を持つてゐると、鉄砲玉を避けると云ふ迷信が行われている。そして、斯うした俗信は独り我国にばかり有るのでは無く、殆んど世界を通じて行はれてゐたことである。殊に面白いことは、×毛の長いほど呪力が増加すると考へた点である。香川県大内郡誉水村大字水主の水主神社の祭神は、姫神であるが、俚俗の伝へに、此の神の御陰の毛が甚だ長いので親神が恥ぢて、独木船に乗せて海に放ち流してしまった。それで姫神は何処ともなく波のまにまに流れ漂うた末に、同郡馬篠の浜に着いたところ、同所の土人が姫神の上陸を拒み、船を突いて沖へ流したので、それより東方に漂ひ、同郡安戸の浦へ着き遂に水主村にとどまり、後に水主神社と祭られたのであると伝へてゐる。そして斯うした類例は、各地に夥しきまで残ってゐる。東京市の郊外である北足立郡谷塚村大字新里にも毛長明神と云ふのがあった。昔は長い×毛を箱に納めて神体としてゐたが、何時のころか神主が、不浄の毛を神体とするのは、非礼だと云って、毛長沼に流してしまった。此の毛長明神の鳥居と向ひ合ってゐる南足立郡舎人村大字舎人には、男子の性器を祀った神社が在ったが、今では取り払はれて無くなってしまった。それから各地における七難の植毛に就いては、●に私見を発表したので(拙著日本巫女史参照)今は除筆するが、更に×毛に関する一二の俗信を挙げると、徳島県三好郡加茂村の水波能女神社にも、昔は長い一筋の毛があつて、常には麻桶に入れて神殿の奥深く安置した。神慮の穏かならざるときは、その毛が二岐に分れて大いに延び、桶を押し上げて外へ余るやうになるが、これに反して神意の和むときは、元の如くなると信じてゐた。これには×毛たと明記してないが、此の事を載せた「阿州奇事雑話」に「大和国布留社にも大なる髪ノ毛あり、ソソゲといふ由」と附記した点から推すと、筆者が態と此の事の明記を避けたものと考ふべきである。宮崎県児湯郡西米良村大字小川の米良神社の祭神も姫神であるが、此の社にも昔は一本の長い毛があって、これを極秘の神宝としてゐた。俚伝によると祭神が世を憤りたまひ、此の地の池に投身された折の神毛だと云うてゐる。元禄十六年の洪水で此の神毛は流失してしまったが、これの在った間は神威殊に著るしく、不浄は勿論のこと、外来人─殊に下日向の人を憎んで、一歩も境内に入れなかったと云ふことである。そして此等の長い×毛の持ちに主が、古代の巫女であったことは疑ひなく、彼等は呪力の利目を×毛の長きに托して、田舎わたらひをしたのである。