我国にも生めよ殖えよ地に充てよと云ふ、多産を祝福する思想があった。即ち古く天の益人等と云うたのがそれである。そして斯うした多産思想の結果として、女子の受胎を促進する呪術まで、種々と工夫されるやうになったが、それは大別して三つに分けることが出来るやうである。第一は婚礼の席上で行はれるものである。例へば群馬県邑楽郡の村々では、婚礼の式後に招待された村内の若者が、花嫁の面前で種々なる祝儀をなし、終りに草刈籠で花嫁の頭上を掩ひ、次に千本杵を持った若者が二人出て、交互に「小の子合女子三人、男の子又三人、都合あはせて十三人」と唱へつつ籠の目に杵を突き入れると、別に大杵を持った若者一人が出て「やがて孫を儲けろやい」と云ひて、臼を搗く真似をして式を終ると云ふが、これが新婦に対する受胎の呪術であることは云ふまでも無い。それから神奈川県小田原町では、昔は婚礼の取り結びの盃が済んで、親類一同が列座してゐるところへ、一人は摺鉢を一人は大きな摺小木を携へて出で、新夫婦の面前で拝一拝し、摺小木で摺鉢を突き破るを合図に、一同目出たし目出たしと言ひ囃し、摺鉢の破片を一つづつ懐中して帰宅する。これは嫁の早く妊娠するやうにと祝ふためである。第二は神の名において婦人の臀部を打つ尻たたき祭である。これで有名なのは富山県婦負郡の鷏坂神社のそれであるが、これは物の本に記してあるところから推すも、約千年も前から行はれてゐるやうである。それから兵庫県飾磨町の道祖神社でも、昔は祭日に参詣に来た婦人の臀部を、神官が青竹でたたいたものであるが、是等は共に、受胎の呪術であったことは勿論である。更に摂津の西宮市の蛭子神社に、曾て行はれたお腰や祭や、豊前の生立八幡宮に現に行はれてゐる尻ひねり祭なども、又その一種であることは言ふまでもない。第三は小正月の夜に、婦人の尻を打つ民俗である。これは昭和の現代にも各地に行はれてゐる最も普遍的のものであるから、類例を挙げる必要もあるまいと考へてゐるが、その中でもやや変ったものを示すと、岩手県江刺郡地方では小正月の夜は小豆粥を煮て臭木の枝で掻きまはし、子を持たぬ新婦に向って「産すか産さぬか、産さざら打つぞ」と言ひながら臀部を敲くと、新婦は「産します産します」と答へる儀式がある。そして、これが各地に同夜に行はれる果樹責(柿や桃の樹を傷けて粥を塗る儀式)の源流であることは、注意深い読者ならば必ず気附く事と思ふ。和歌山県海部郡加太町辺では、小正月に子供がハラマツヘと称する棒を作り、此の棒で通行の女を祝ふとて尻をたたき、又は新婦のある家へ往き、嫁祝とて同じく尻を打つ。ハラマツヘとは即ち孕待の転訛であると云ふから、これも受胎促進の呪術である。
然るに此尻たたきの行事と、擬娩の民俗とを、一緒にしたやうな不思議なことを、今に行ってゐる所がある。宮城県遠田郡の農村では小正月の夜に、小供の出来ぬ婦人があると、其者の家へ村の女達が多勢で押掛けて往き、婦人に向つて「子を持つか持たぬか」と問ひ、その婦人が「持ちます」と答へ人形を作り藁で産褥(之を巣と云ふ)を拵へて、子の無い婦人をそこへ入れ人形を抱かせて更に「産すか産さぬか」と言ひ、「産します」と言ふと、今度は子を産んだやうに、其人形を取揚げ、湯など沸して、すべて出産の行事をする。又この時に箕の中へ餅を入れて、みもち(身持)になってお目出たうと祝うたりする。斯うして貰った子の無い婦人は、その女達にお礼の祝儀を出すのが通常となつてゐる。そして、是と全く同じ民俗が、仙台地方にも行はれてゐたことを耳にしたこともあるので、古くは相当に広く行はれてゐたものであらう。それも一種の女性礼讃の民俗と見ることが出来るのである。