大昔には男子が元服―即ち成年式を挙げた夜には、必ず定まれる女性(多くは婚約者)と同衾することとなつてゐて、貴族ではこれを「副臥」と称してゐた。此の原義は一度でも異性に接することが、社会人として完全なる資格を具へたと云ふ、思想から来てゐるのである。そして、此の事象が民俗として如何なる形式で行はれてゐたかと云ふに、その土地によって、種々なる民俗となって残つてゐた。例へば山形県西田川郡袖浦村地方では、男子は十五歳で元服し、大人の仲間に入るが、それには女子を知ることが条件となってゐて、元服の夜には父兄または雇主が、本人を伴うて妓楼に遊ぶ。これを俚俗に「お位受け」と称してゐる。私の生れた栃木県の南部地方でも、婦人を知らぬ男子を卑しむ習慣があって、ややともすると「あの男は、まだ卵塔場(墓地)の蚯蚓だ」などと悪口したもので、これは生きた穴を知らぬと云ふ隠語である。新潟県の佐渡郡では、男子十五歳に達すると、元服の祝儀として先輩に連れられ、金北山に登り祭神を拝し、山に生えてゐる石楠木の枝を折り採り、帰路に夷港に出て娼妓を買ひ、別に白緒の草履を求めて家に戻り、親族や知己に石楠木の枝と草履を、土産物として贈ることとなってゐる。そして、男子(女子もさうであるが)が元服に際して神社に参詣する習慣は、各地を通じて夥しきまでに存してゐるが、これは古く神の名によって割礼(性器に施術する儀式)の行はれたことを示唆するものである。大阪市及び其の附近の村落では、男子が元服を済すと先輩に伴はれて、奈良県の大峯山に参拝し、帰路に「精進落し」と称へて、娼妓を買はなければならぬやうに習慣づけられてゐた。これも異性に接することによって、男子が一人前になったことを、証拠立てる一民俗である。沖縄県の士族(昔は平民でもさうであった)は二十年ばかり前までは、男の子が十三歳で元服式を挙げると、その夜に父親が子供を連れて遊廓に赴くことが常礼となつてゐた。そして、斯うした民俗も、各地に渉り克明に詮索したら、まだ幾らでも数へることが出来やうと思ふ。
女子にあっても、又これに類似した民俗が在ったことと思ふが、女子の社会的位置が消極的であり、受身であっただけに、積極的にこれを証拠立てる事象は寡見に入らぬ。それでも福島県平町地方の農村で、旧正月十四日の夜に挙げられる、娘を女にする行事は、此の事の存したことを考へさせる手掛りにはなる。更に岩手県水沢町を中心とした附近の村落では、童貞の少女が死ぬと、棺の中に「まつふさ葡萄」の実を入れて遣る習俗がある。此の実は甘味に酸味を加へたもので、妊婦の嗜好に適してゐるが、喰ふと果汁で歯が黒くなり、恰も涅歯したやうになるので、少女は努めてこれを喰はぬやうにしてゐるが、死ぬと冥土で食へとの意で、斯く入れて遣るのだと伝へてゐる。併しながら是れなども、古い源流を究めると、賽ノ河原に往くことを嫌ひ、喰うて歯を黒くすることが、異性と接したと同一の結果を来たすと考へたからの習俗ではあるまいか。親の恩を知る捷径を、男女の和合にありと信じてゐた古代人にとっては、蓋し在り得べき習俗だと思はれるのである。