女性礼讚の民俗は、種々なる形態を以て示されてゐて、従来とても相当に研究が試みられてゐるが、ここには余り世人の注意しなかった方面に就いてのみ述べるとする。
我国では昔から未婚の男女が死ぬと、賽ノ河原と云ふ所へ往くと信じられてゐる。然るに世人の多くは、此の賽ノ河原なるものは、仏教で説く百三十六地獄中の一つのやうに考へてゐるが、これは決して左様なものでは無く、実は我が京都に近い、佐比と称する墓地の名が訛ったもので、仏教の地獄とは少しも関係は無く、此の俗信と共に、我国の固有のものと見るべきである。それでは何故に未婚の男女に限って、死ぬと賽ノ河原なる特別の場所へ往くと考へるやうになったかと云ふに、これは人道を解さぬためで―換言すれば、童貞者なるためだからと云ふ理由に外ならぬのである。更に極言すれば、生前において異性に接しぬからであると、考へた為めである。
我国の成年式は、男子にあっては精通期に、女子においては通経期に、何れも厳重に行はれたものである。そして、斯く成年式―即ち男子にあっては、父となり夫となる資格を有せることを、社会から公認され、女子においては、母となり妻となる肉体の所有者であることを、郷党へ披露するのに、共に思毒期を擇らむだのは、他の語を以て言へば、適婚者たることの公示であると同時に、家庭から離れ社会人として、一人前の待遇を受ける意味が、含まれてゐたのである。昔は成年式を済せた男子(前髪を去り衣服の八ッ口を留める)が、公私ともに一人前として夫役に服し、女子も涅歯(歯を鉄漿で染めること)すれば、若年でも白歯の年長者よりも多分の給金を得たものである。併しながら、斯うして社会的には一人前として取扱はれても、男女ともに結婚をせぬ以上は(我国の古代には結婚以外に肉の結合は認めてゐなかった。よし売笑であっても一夜妻としての形式と内容とが伴ってゐた)死して霊界に入ると、賽ノ河原に往かねばならなかったのである。そして、是れを避けるには異性に接するより外に、方法は無いと信じられてゐたのである。かくて此の方面にも女性礼讃の民俗が発生したのである。勿論、その原由から云へば、男女ともに平等で無ければならぬのであるが、我国には是れより先きに、女性を礼讃する思想や民俗が存してゐたので、それに導かれて、斯うした民俗を見るやうになったのである。